赤い靴はいてたきみちゃん
今回も「山下公園」散歩になります。
横浜みなとみらい、山下公園、中華街 ほかにも、いっぱい楽しめる場所がいっぱいありますよね。
山下公園には、昔から色んな都市伝説を聞きます。
そのなかでも、山下公園デートは別れるというジンクス都市伝説、歴史のある山下公園。
有名な公園やレジャー施設には都市伝説ついてきますよね。
正直、若かりし頃は少し気にしましたが、そんな事実は聞いたことがないです。
気になるカップルは、横浜中華街の占いで占ってもらう手もあります。
昔、知人で占いの方に分かれた方が良いと言われ,別れようか相談されたことがありますが、20年以上たっていますが、その夫婦は今でも仲良しです。
「山下公園 赤い靴はいてた女の子像」が建立された経緯とは?
童謡「赤い靴」きみちゃんの悲しい物語があったことを初めて知りました。
イチョウ並木山下公園通り黄金色に染まる美しい光景 に続き、
カップル別れるジンクス 赤い靴はいてたきみちゃん さんぽです。
ほんのちょとでもいいので何かのお役にたてればと思います。
「別れませんでしたよ」 山下公園でのロマンチックなデートのすすめ

山下公園デートは別れるというジンクス都市伝説あるって聞いたけど本当?

デートの場所や状況が直接的に関係しないと思うので、人が集まりやす場所には、そういう ジンクス都市伝説あるけど、気にしなくていいと思います。
赤い靴はいてた女の子像は、めだたないけど、悲しい物語があるので、見つけてね。
「山下公園 デート 別れる」という都市伝説について
山下公園
〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町279
路線 | 駅名 | 時間 |
みなとみらい線 | 元町・中華街駅 | 徒歩約5分 |
山下公園デートで別れるというジンクスは、デートの場所や状況が直接的に関係するわけではありません。
ジンクスや迷信は、人々の間で口コミや伝承によって広まり、信じられるようになったものです。しかし、恋愛や関係の成否は、デートの場所よりもずっと複雑な要素に左右されます。
恋愛や関係の成否は、お互いのコミュニケーションや相性、信頼、互いへの配慮など、多くの要素によって形成されます。
デートの場所が関係の成否に大きな影響を与えるわけではありません。
「別れませんでしたよ」 山下公園でのロマンチックなデートのすすめ
美しい景色やロマンチックな雰囲気を楽しむことができる素敵なデートスポットです。散歩やピクニックなど、楽しい時間を過ごすことができます。
重要なのは、お互いを大切に思い、相手との時間を大切にすることです。
信じられるジンクスや迷信にとらわれるよりも、デートの場所を楽しんだり、お互いの関係を深めるために積極的に努力することが重要です。
互いに愛情や思いやりを持ち、良いコミュニケーションを築くことが、関係を良好に保つための大切な要素となります。
「カップルが別れるジンクス」として有名な場所関東5選!
カップルが訪れる有名な場所関東5選ではないかと?カップル別れるジンクス
「カップルが別れるジンクス」として有名な場所関東5選!としてジンクス都市伝説があがるスポットになります。
噂その1 石神井公園のボートに乗って別れた
噂その2 都市伝説?東京ディズニーランドにカップルで行くと別れる?
噂その3 上野恩賜公園 ボートで別れる噂
噂その4 江ノ島 で弁天様が、、、
噂その5 山下公園デートは別れるというジンクス都市伝説

信じる?信じない?「カップルが別れるジンクス」
カップルが別れるジンクスとして有名な場所関東は、どう見てもカップルが訪れる有名な観光スポットに見えますよね。
ただ公園など、カップルが会話に弾む場所ですので、「カップルが別れる」そういうケースもあるかもしれないですね。
何時の時代でも、こういう話「ジンクス都市伝説」、盛り上がりますよね。
信じられるジンクスや迷信にとらわれるよりも、デートの場所を楽しんだり、お互いの関係を深めるために積極的に努力することが重要なんだと思います。
「山下公園 赤い靴はいてた女の子像」が建立された経緯とは?赤い靴はいてたきみちゃん

赤い靴 看板より
「赤い靴はいてた女の子像」がモデルとされる実在の女の子「赤い靴はいてたきみちゃん」について
赤い靴はいていた女の子像
〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町
路線 | 駅名 | 時間 |
みなとみらい線 | 元町・中華街駅 | 徒歩約5分 |
童謡「赤い靴」聞いたことあると思いますが、不思議な童謡歌詞ですよね。
そんな、違和感が少し解消される、きみちゃんの悲しい物語があるのですね
作詞 / 野口雨情 作曲 / 本居長世
赤い靴 はいてた女の子
異人さんに つれられて行っちゃった
横浜の 埠頭から船に乗って
異人さんにつれられて行っちゃった
今では 青い目になっちゃって
異人さんのお国にいるんだろ
赤い靴 見るたびに考える
異人さんに逢うたびに考える
『赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった』
野口雨情が作詞したこの童謡を,
誰でも聞いたことがあるかと思います。
麻布十番のパティオ十番に
赤い靴の女の子「きみちゃん」の像が
たっているのはご存知ですか?
「きみちゃん」 佐々木至 作
この「赤い靴をはいた女の子」は、
実在の少女だったという事もご存知ですか?
この歌詞に登場する女の子の名は「きみ」ちゃん。実在の女の子です。
明治35年7月15日、現在の静岡県清水市で生まれました。
母の名は「岩崎かよ」未婚の母でした。父親の名を明かせない私生児ということから世間の風当たりは厳しく、娘ともども開拓団として北海道の函館へ、たどり着いたのです。
母「かよ」は函館で出会った鈴木志郎と、留寿都村への入植を決意しました。当時「きみ」ちゃんは3才。しかし、明治時代の北海道開拓は、命がけで、幼い子供を連れて行くことなど考えられませんでした。
そこで「かよ」は、当時函館の教会で宣教の働きをしていたアメリカ人宣教師・ヒュエット夫妻の養女として託すことにしました。
しかし、ヒュエット夫妻が帰国する事になった時、「きみ」ちゃんは当時不治の病とされていた結核に侵されてしまいます。結核を発病した彼女は、船旅ができずやむなく麻布十番の鳥居坂教会の孤児院(永坂教会孤児院・現在の「十番稲荷神社」のある場所)に預けられてしまいました。そして「きみ」ちゃんは、3年間の闘病生活の末、9才というあまりにも短い生涯を終えたのでした。明治44年9月15日の夜のことでした。
「きみ」ちゃんを託してから2年後、母「かよ」は入植に失敗、鈴木志郎との間に生まれた娘「その」を連れて札幌に出ました。
札幌で鈴木志郎は新聞社に入社、そこで同僚として知り合ったのが、当時、その新聞社にいた野口雨情でした。同世代、そして子供一人という同じ家族構成ということもあって、両家族は急速に親しくなり、一軒の家を二家族で借りて共同生活をはじめました。その折、「かよ」の「きみ」への思いを聞き、母親の愛に感動した野口雨情は、これを詩に綴りました。その詩に本居長世が曲をつけて完成したのが、童謡『赤い靴』です。母親の「かよ」は,そんな娘の死も知らないまま,昭和23年,「きみちゃん,ごめんね」の言葉を残して64才で他界したそうです。
「赤い靴」の女の子のモデルが明らかになったのは、昭和48年11月の新聞の夕刊に掲載された、『野口雨情の赤い靴に書かれた女の子は、まだ会った事も無い私の姉です。』という「岡その」さんの投稿記事がきっかけでした。この記事を当時北海道テレビ記者だった菊池寛さんが知り、5年余りの歳月をかけて女の子が実在していたことをつきとめました。
パティオ十番の銅像は、このような不幸を繰り返さないため、十番商店街の人たちによって平成元年1ヶ月28日に作られました。
きみちゃんのお墓は青山霊園のなかにある鳥居坂教会の共同墓地にあります。その墓碑には「佐野きみ」と刻まれている。佐野はきみちゃんの実父の姓とのことです。
日本経済新聞・日経産業新聞・日経MJ・日経ヴェリタス、東京新聞、毎日新聞のNSN麻布十番

「赤い靴はいてた女の子像」は日本各地に点在している?赤い靴はいてたきみちゃん
そして赤い靴はいてた女の子像、関連の像は日本各地に点在しています。
北海道 小樽市・函館市・虻田郡留寿都村
青森県 西津軽郡鰺ヶ沢町
東京都 港区麻布十番
神奈川県 山下公園・横浜駅
静岡県 静岡市
茨城県 北茨城市
日本各地で、「赤い靴はいてた女の子像」がモデルとされる実在の女の子「きみちゃん」
悲しいおい立ちで、若干9歳で亡くなった「きみちゃん」母親の「かよさん」
2人の壮絶で悲しい人生は、日本各地の銅像で今も伝えられています。
次回は、赤レンガ倉庫 歴史と文化 廃墟から復興魅力と解説 になります。
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