横須賀美術館・走水神社2
こんにちは、ゆるっとオジサンポ付き合ってください。
今回は御朱印採集とさんぽシリーズになります。
神奈川県立観音崎公園 走水神社 さんぽです。
自然豊かな県立観音崎公園でさんぽを楽しみました、さまざまな施設もあります。
今回は 観音崎の砲台跡 神奈川観音崎自然博物館 カフェ食堂レストアを終え、
横須賀美術館 走水神社 です。
ほんのちょとでもいいので何かのお役にたてればと思います。
横須賀美術館 犬と一緒にレストラン
横須賀美術館
〒239-0813 神奈川県横須賀市鴨居4丁目1番地
路線 | 駅名 | 時間 |
京浜急行 | 浦賀駅 | 「観音崎」行きバス終点で下車 徒歩約5分 |
京浜急行 | 馬堀海岸駅 | 行きバス観音崎京 急ホテル・横須賀美術館前で下車徒歩約2分 |
JR横須賀線 | JR横須賀駅 | 「観音崎」行きバス観音崎京急ホテル・横須賀美術館前で下車 徒歩約2分 |
会館時間 10時~18時
個人380円(税込)
時期により変更がありますので横須賀美術館ホームページで確認してください。
駐車場 普通車120台
普通自動車:320円(1時間まで) +160円/30分(上限1,600円/1日)
横須賀美術館前利用の方は最初の1時間無料です。

横須賀美術館の設計 横須賀美術館・走水神社2
横須賀美術館は2007年に開館されシーフロントの白い建物でとてもおしゃれなのと緑に囲まれていて癒されます。
谷内六郎館には約1300点 谷内六郎の世界を展示されています。
横須賀美術館では展示物で各種イベントを行っていますので、確認してください。
横須賀美術館ホームページ
主な施設は 展示室・ギャラリー 谷内六郎館 図書室 ミュージアムショップ とてもきれいな
各種広場があります。
山本理顕さんが横須賀美術館を設計され、周りの海や木々とシンクロする 独特的贅沢な美術館になっています。

横須賀アクアマーレのランチメニューが豊富!地元食材にこだわったお料理が楽しめる
横須賀美術館はレストランはとてもおしゃれで海が眺めてながら(横須賀アクアマーレ)で地元食材のたランチセットやコース料理が楽しめます。
ペット連れで、野外でランチを楽しんでいる方が多かったです。
ランチセットで、おすすめパスタセット(サラダ・ドリンク付)1,500円をおいしく、ゆったりした空間を楽しめました、おすすめです。
横須賀アクアマーレのランチメニューが豊富で、地元食材にこだわったお料理が楽しめるイタリアンレストランです。
ぜひ、訪問された際は、素敵な時間で過ごす極上のひととき、を堪能してください。
横須賀美術館の割引情報 横須賀美術館・走水神社2
横須賀美術館 で割引案内しますので、お得に行ける様に参考にしてください。
横須賀美術館割引
・JAF会員優待施設
・三浦半島1DAY・2DAYきっぷでの横須賀美術館割引
企画展20%割引
・よこすか満喫きっぷ を使う
・観音崎自然博物館の入館券のご提示
観覧料が20パーセント割引
観覧無料
・市制記念日(2/15)直近の日曜日、文化の日
・横須賀市内に在住または在学の高校生
・横須賀美術館チケット提示により観音崎自然博物館入館料が50円割引き
走水神社のパワースポットと開運効果
走水神社に海がきれいに見れる急な石段があり、その石段を登ると「女子力向上」開運効果があるそうです。
由緒としましては、御祭神の 古事記にも登場する 「日本武尊(やまとたけるのみこと)」
その妻の「弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)」2柱で、
ある時、妻の「弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)」身を投じて「日本武尊(やまとたけるのみこと)」 を守ったという伝説から、恋愛成就・縁結び・女子力向上があるという開運効果がうまれた様です。

走水神社へのアクセスと観光情報 横須賀美術館・走水神社2
〒239-0813 神奈川県横須賀市走水2-12-5
京浜急行 馬堀海岸駅「観音崎」行きバス
走水神社で下車 徒歩約2分
ご利益
恋愛成就・縁結び
女子力向上
境内には別 宮、稲荷神社、弟橘媛命の記念碑、庖丁塚、顕彰の碑、橘の木、水神社の
三社(神明社 須賀神社 諏訪神社)があります。
近くの観光は 自然豊かな県立観音崎公園になります。
海と緑の自然豊かな場所です。
走水神社の御朱印と歴史ロマンの魅力
走水地区に伝わる日本武尊と弟橘媛の伝説が、走水神社の歴史ロマンの魅力になります。
御祭神 は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」 その妻の「弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)」2柱です。
橘神社が走水神社に移され、明治42年に走水神社に合祀されたとの事です
走水神社公式ホームページへようこそ
走水神社の由来と歴史考察
由 緒
走水神社は、12代景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)と御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)二柱をお祀りしております。
走水神社 ホームページ
景行天皇即位40年、東国の騒動を静めるため日本武尊にその鎮定を命じました。
勅命を奉じて日本武尊は、伊勢神宮に参詣され戦勝祈願をなし、神宮の斎宮であった叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より神宝の雨叢雲之剣(あめのむらくものつるぎ)と火打袋を授けられ、東国に東征の軍を起こされました。途中、静岡(焼津)において賊にだまされ火攻めの難に遭遇されましたが雨叢雲之剣で草を薙払い向火を放ち形勢を逆転させて賊を討伐したといわれ、これよりこの神宝を草薙之剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれ、以来熱田神宮の御神宝となっております。
日本武尊一行は、焼津、厚木、鎌倉、逗子、葉山を通り走水の地に到着されました。
ここに、御所(御座所)を建てました。(現在の御所が崎といわれています)
走水の地において、軍船等の準備をし上総に出発するときに村人が日本武尊と弟橘媛命を非常に慕いますので、日本武尊は自分の冠を村人に与えました。村人はこの冠を石櫃に納め土中に埋めその上に社を建てました。(走水神社の創建です)
日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風が吹き海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆するかの危機に、日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」と御歌を残し、海中に身を投じられました。たちどころに海は凪ぎ風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。以来、水走る走水と言われております。
上総、下総、常陸、日高見の国々の蝦夷を討ち平らげて大和に帰る途中、碓氷峠から遥か東方に光る走水の海の輝きを望み、その海に身を投じ武運を開いてくれた媛を偲び「あ~吾が妻よ」と嘆き呼びかけられたという、そしてこれをもって東国を東(吾妻)「アズマ」と呼ぶようになったといわれております。
奈良時代の初期に編纂された『古事記』『日本書紀』にも記されております。
また、弟橘媛命が御入水されてから数日して海岸に櫛が流れ着きました。村人たちはその櫛を日本武尊と弟橘媛命の御所があった御所が崎に社を建て、櫛を納め橘神社としましたが、明治18年に御所が崎が軍用地になったため、橘神社は走水神社の境内に移され、明治42年に走水神社に合祀されました。
次回は、東京湾の立ち入り禁止施設 DASH海岸で「東京湾にある幻の地」とは? になります。
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